カズオ・イシグロが2017年にノーベル文学賞を受賞したことをきっかけに、ずっと読みたかった『日の名残り』をようやく読めたので、あらすじと感想を書いていきたいと思います。
日の名残り あらすじ
1950年代イギリス、長年ダーリントンホールというお屋敷に勤めていた執事スティーブンスは、現在の主人ファラディ氏から休暇をもらい、かつて共に働いていたミス・ケントンに会う旅に出かける。
ミス・ケントンから手紙をもらって、その中に現在の生活を憂う表現が気にかかり、もう一度一緒に働かないか話をしにいくためだった。
車で数日の距離を行く道中で、華々しかったお屋敷でのできごとや、かつての主人ダーリントン卿への思い、ミス・ケントンとの思い出を回想しながら旅を続けるスティーブンス。
出会ったミス・ケントンは、今の生活を辞める気はないが、過去にスティーブンスにお屋敷のスタッフを辞めることを止めてもらいたかったと語る。
スティーブンスは自分のしてきたことの後悔の念にかられるが、出会った男の「夕方が一番いい時間なんだ」という言葉を胸に、現在の主人に尽くして生きていこうと思い直す。
日の名残り 感想
この小説は、カズオ・イシグロの「信頼できない語り手」という手法で作られたことで有名です。
物語はスティーブンスの一人称視点ですべて語られ、スティーブンスの主観によってものごとが表現されていきます。スティーブンスの認識と現実の世界に若干の乖離があり、そのことがラストにかけて明かされていく流れが秀逸で、評価されているポイントになっています。実際読んでいて、そういうことか……と思わせるところがあり、なにか推理小説を読んだあとのような良い意味で奇妙な読後感がありますね。非常に巧みで面白い内容でした。
ただ、この老執事スティーブンスを「信頼できない語り手」というふうだけに見ると、なにか悲しい物語にように感じられてしまって、自分はちょっとそういうふうには思いたくないな、と感じます。
スティーブンスの話をすべて「信頼できない」としてしまうと、華々しい全盛期の思い出も独りよがりなものと受け取れてしまうし、非常に尊敬していたダーリントン卿も、ほかの人々にとってはナチスドイツに肩入れする間違った判断をした主人に傾倒してしまっていたように写りますし、ミス・ケントンの想いをないがしろにするような人物、ということになってしまいます。実際そのようにも読めてしまうのですが……。
それでも、自分はスティーブンスの執事という職業に対する誇り、度々登場する品格という概念に対する姿勢は、素敵だな、と思わせる真摯さがあったと思います。自分が読んだのは訳文ですが、スティーブンスのかしこまった語り口も、非常に美しい言葉使いだなと思いながら読み進められました。彼が執事として培った人生を、認識が主観的に凝り固まった人物として片付けてしまうことは自分にはできません。
人間は誰だって主観的にものごとを見て生きているし、自分の中での正解を信じて生きていると思います。それが悲しい結果を招いたとしても、人生とはそういうものだ、ということで良いじゃないですか、と。
ラストも素晴らしいです。ミス・ケントンが自分のことを好きだったと気づいて、それを無碍にしてしまったことを後悔する。だけども、後ろばっかり振り返ってくよくよしてもしょうがない。前向きにこれからの人生を生きていこうじゃないか、という非常にポジティブに着地して、物語は終わります。
後悔することなんか誰だってある、それより、今後をどう生きるかの方が大事だ。そういうメッセージが『日の名残り』から感じられました。「信頼できない語り手」ではあったかもしれませんが、スティーブンスの生き方は立派だと思います。
『日の名残り』は、技巧的な表現手法がありつつ、爽やかでほろにがい哀愁を帯びた名作小説だと感じました。もっと早く読んでおけば良かったと、後悔。笑。
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